2024-02-01

綺麗な写真は撮らない!

1年以上前にInstagramで書いた記事の話を
ありがたいことに今だに「読んだよ」と
話してくれる人がいるのでこちらにも改めて記載したいと思います。

僕が人を撮る時に考えている大きなことの1つでもあるので
是非、皆さんにも知っていただけると嬉しいです!

《飾りたくない写真》

僕の息子が100日の時、
とある写真館(チェーン店)で記念写真を依頼しました。
結果、その写真は「物としては良いけれど、飾りたくはない写真」でした。

写真撮影をする時、抱っこされている息子はママから離れ、
1人で椅子に寄りかかるような形でした。

「笑顔で撮れれば良いな。」そう思っていましたが
生まれて100日の赤ちゃん。
当然、抱っこして欲しくて泣いてしまいました。

写真館のスタッフも笑顔になるようにあやしてくれましたが、
その作業はとても機械的で業務的。

カメラマンは、泣いている中でも
パシャパシャとシャッターを切り続けていました。

僕は、その時間何も出来ず見ているだけ。
とても心苦しかったのを覚えています。

写真を撮り終えた後、スタッフに言われた言葉が
「笑顔に見える写真が撮れてよかったですね。」でした。

確かに1枚の写真としては、「笑顔に見える可愛い息子」ですが、
それを見て思い出すのは「泣く息子と何も出来ない自分」です。

僕は「自己満足のために息子を付き合わせてしまったのかな。」と
考えてしまいました。

《見て幸せになれる写真》

写真って色んなものを写した写真があります。
使われる目的も様々ですし、
正解も不正解もないと思っています!

ただ僕は、人を写すとき
「その写真を見ると幸せになれる写真」
そんな写真を撮りたいと思っています。

そのためには、
「撮影時間も含め楽しい時間を過ごしていただきたい」
と思っています。

被写体として参加していただいたことがある方には
きっと理解していただける言葉かと思います。

家族写真であれば、
完成した写真が物として良いか悪いかだけではなく、
「家族みんなが何年経っても、幸せな気持ちになれる写真を撮りたい。」

そう考えています。

《綺麗だけの写真は撮りたくない》

その時の思い出や感情は
その写真を見た人、全員には伝わらないかも知れない。

だけど、目には見えない部分に
大切なことがあると信じています。

事実、冒頭に話した話で僕自身が体感しています。

誰が見ても綺麗な写真ではなく、それよりも
「その時の思い出や気持ちを語れる写真」
「見て幸せになれる写真」

そんな写真を撮っていきたいと考え、
これからも撮影を行っていきたいと思います!

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

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